失った暗闇を探して「ほうとうのよるをさがして」
ルートの部活の引退に、自分のことではないので感傷的になってしまうくるみです。こんにちは。

これまでの人生で一度だけ本当の暗闇を体験したことがあります。
それは、大分県の山間の伯母の家でのことでした。
まだスマホはなく、文字しか表示しない、消しゴムサイズほどの小さい画面が付いた携帯電話を持っていた大学生の頃。
家の中では電波が入りづらく、アンテナを伸ばしながら(懐かしい!笑)外に出て、手元の携帯を見ようとしたら、そこにあるはずの自分の腕が見えなかったのです。
明るい家の中から暗い外に出たからだと思って目が慣れるまで待ちましたが、待てども待てども見えるようになりません。墨をこぼしたような濃密な暗闇に愕然としました。
不安になって動かした腕は、ちゃんと小さな風を起こし、確かにそこにあるはずなのに、目には見えず、自分がいなくなってしまったかのような、心もとない気持ちになりました。
慌てて持っている携帯を光らせ、最小限のやることを終わらせて、家に戻りました。
もともと怖がりの私は、毎晩寝るときは天井のライトを豆電球にして寝るし、夜中にトイレに行くときは、廊下の電気を必ず付けてから行っていました。
暗闇はそれだけで恐怖を生み、一度頭に浮かんだ恐ろしい想像は、夜じゅうどんどん増殖します。そして、いつもそれは、朝の光の中では影も形もなく消えていきます。
同じ世界が、暗いというだけで不安になること。明るいというだけで安心できること。なんだか解せない気もしますが、視力から得る情報に多くを依存している人間にとっては不思議ではないのかもしれません。
今の家は幹線道路が近いので、夜電気を消しても何かしらの光が窓から入ってきます。
それを私は、とてもありがたく感じるのだけれど、人間以外の生き物にとってはどうなのでしょう?
今日はそんなことを考える絵本です。
よるのくらやみはどこいった?
「あかりをけしてよ、ねむれない」キツネはいいました。どこもかしこも光だらけ!森や牧場を抜けて、高原や砂漠や砂山を超えて…キツネとムシとトリは夜の暗闇を探しに出かけます。人間が世界に与えている光害に、警鐘を鳴らす絵本です。
家の窓灯り、車のライト、街灯、信号、ビル、店、船、橋の光。赤、黄色、青、緑の光。またたく光、きらめく光、まばゆい光、ちらつく光。
私たちは地球上でたくさんの光を照らして暮らしています。
人間が夜活動するのには光が不可欠です。
娯楽でも、仕事でも、細かい作業を行う私たちは、灯りを必要としています。犯罪抑止や事故防止のためにも光は大事。
けれども、動物たちにとってはどうなのでしょう?
キツネは眠れず、フクロウは思うように狩りができず、渡り鳥は方向を見失う。ホタルは仲間と連絡が取れず、カエルも歌えず、ウミガメは海に還れない。
動物はそれぞれに、少ない夜の光に対応した暮らし方をしてきたのです。
私たちが当たり前だと感じている現代の明るい夜は、まだ100年や200年かそこらの当たり前であり、それより以前の長い長い数万年もの年月は、月明かりや星明かり、ホタルや光るキノコなどのかすかな光がぼんやりと地球を照らしていただけです。
そんな世界に生きてきた動物たちにとっては、急に人間の勝手で明るくされたらたまったものではありません。
もしかしたら、人間でさえ、24時間働くことから逃れられず、余りある刺激に脳は休まらず、身体もくたくたという具合で、生命体としては明るい夜に対応できていないのかもしれません。
夜景はとてもキレイだし、友達と外で夜ご飯を食べたり、撮りためていたドラマを夜中一気見したり、光のおかげで楽しめることは数えきれないほどです。たくさんの恩恵を受けている今、急にこの生活をやめることなどできないだろうけれど。
たまには、明るいうちに家に帰り、すべての光源を絶って、月を見上げてゆったりと過ごし、光や暗闇について考える日があってもいいと思います。
キャンドルナイトを家族でやってみるのもいいかも。

