永遠的な感覚と刹那的な感覚が研ぎ澄まされる地「PIHOTEK ピヒュッティ 北極を風と歩く」
ミラノ・コルティナ オリンピックと聞くたびに、過去最高に響きがオシャレだなぁと思うくるみです。こんにちは。

みなさんは、自分の命を支える道具や食料を、自らの手で運んで移動したことがありますか?
私はありません。
バックパック旅行も苦手、大がかりな登山も苦手、キャンプも苦手。
そんな私は、巣に食べ物を貯め込むアリのように、自分の集めた小さなモノたちに囲まれて、本を読んだりしながら、いつものご飯、いつものトイレ、一日の終わりにいつものお風呂に入りたい…
つくづく生ぬるく、恵まれていて、変化を恐れて生きている、生命体としてひ弱な生物だと思います。
もし生まれ変わったとしても、好んで宇宙飛行士や探検家、船乗りなどになることはほぼ100%ないでしょう。
けれど、知りたい欲は強く、世界の各地に何があるかには興味があるし、宇宙にもとても惹かれます。想像して楽しむのは大好きです。
だから、知らない世界の体験が書かれている絵本はとってもありがたい。
たとえば、「北極に行きたい?」と聞かれたら「行きたくない」と即答するのだけれど、そこにはどんな世界が広がっているのかは知りたい。
今日の絵本は、そんな私の知りたい欲を叶えてくれる、北極を旅する方のお話です。
永遠的な感覚と刹那的な感覚
揺れ動く氷の海をソリを引きながら、たった一人、北極を歩いていく。寒く過酷なこの地でも動物たちは知っている、この世界での生き方を。命のしずくがとられていく暗い夜をやり過ごし、光り輝く朝がくる。風と共に雪の中を歩いて旅する男、ピヒュッティの物語。
雪が頬を叩く中、生きる道具のすべてをソリに積んで、心もとない流れ動く地面を僕が歩いていく場面から、物語は始まります。
ホッキョクオオカミはカリブーを狙い、ホッキョクグマはアザラシを探し、ジャコウウシは分厚い毛で身を包み、ホッキョクウサギは身を寄せ合います。
動物たちはそれぞれの方法で過酷な環境を生き抜いています。
そして僕は、歩いて疲れた体を引きずって、テントで風をしのぎ、寝袋にくるまって、眠りに身を任せ、1日は終わりを迎えます。
ここでの眠りは決して安らぎや休息ではありません。日中よりもさらに増す寒さの中で命のしずくが取られていく行為なのです。
眠りの世界に誘われ、うつらうつらする意識の中で僕は、外を吹く風を感じ、死んでいった動物、生きている動物たちの息、鳥の羽ばたき、氷、暗闇、僕の存在を感じとります。風がすべてを溶かし、すべてと共に風に含まれているような気持ちになるのです。
そして、朝。光が世界に与える力の大きさに心を打たれ、また新しい1日を僕は歩いていきます。
僕の顔立ちや動物たちはイラスト調で可愛く、氷や雪で真っ白の北極の世界はシンプルに描かれています。
基本が白い世界なだけに、オオカミが狙う場面や空の色、夜の風や朝の光など、心情も表しているような色使いが印象的です。
頼るものがほとんどない、文字通り自分の身一つで生きる世界。そんな偉大な自然に身におくと、自分と他との境界線があいまいになる感覚が生まれるらしく、それを作者はは大和言葉の「あわい」という言葉で表現しています。2つのモノが重なり合った曖昧な境界を、的確に表現している美しい言葉です。
水素や炭素など、元素レベルでみれば、私たちの身体は、古代から地球を巡ってきた地球の一部であり、そのことを意識してみると、他の動物たちや氷、空気と溶け合う感覚になっていくのもうなずけます。
自分とは地球の一部だとみなすマクロの視点と、自分の足を使って歩く身体性が研ぎ澄まされる個人の視点は、一見すると両極端なものなのに、このような極地においてはどちらも同時にグッと迫ってくるようです。
これはまた、時間的にも同様で、地球が歩んできた長い歴史の一部であるというマクロな感覚と、自分という人間が生きているこの一瞬はこの瞬間しかない、という今ここにあるという身体感覚とが、対照的ながらもどちらも強烈に感じられることが興味深いです。
頬で感じる空気の冷たさ、凍ったまつげ越しの白さ、足元の心もとなさ、孤独の切実さが実際はどれほどなのかは、身体感覚抜きではわからないのは百も承知なのだけれど、体験したことのない世界に心を連れて行ってくれる絵本に感謝です。
寝袋に包まれて、左ページで閉じていた目が、右ページで開くところがかわいくて好き。

