元気にやっていてくれればそれでいい「わすれていいから」
こむぎと麻辣湯にはまっているくるみです。こんにちは。推しトッピングは姫たけとキクラゲです。

ペットは飼ったことがないのですが、イヌ派かネコ派かと聞かれたら、イヌ派と答えます。
親戚や友達の家のイヌは、名前を呼ぶと走り寄ってくれたし、温かくてふわふわの毛を触らせてくれました。くりっとした愛くるしい目を、初対面の私に向けてくれる無邪気さと健気さに、こんな小動物がそばにいる日常を想像して、うらやましい!と感じたこともありました。
一方、ネコとの思い出はというと、シャー!と露骨に警戒されたり、部屋で最も遠い対角線上に移動して、じーっとこちらを睨みつけていて、触れ合いたくても触れ合えなかった記憶ばかりです。
なので、もしもどちらかを飼うなら、イヌの方がいいかなぁと漠然と思っていました。
けれど、最近世間では空前のネコブーム。ネコ派がイヌ派を上回っているらしいですね。
なぜ?ネコの魅力ってどこなんだろう?
そんな魅力がわかる今日の絵本はこちら。
個としての気高さがネコの魅力では?
小さいときから一緒に育ってきた“おれ”と“おまえ”。ぐんぐん大きくなるおれと、ゆっくり大きくなったおまえ。たくさんの時間を共に過ごし、やがて、おまえはいないことが増えていき…。同じ家で一緒に育っていく少年とネコの成長をネコの目線で描いた絵本です。
ネコが、まだ手のひらサイズの子ネコだったとき、少年は赤ちゃんでした。
ネコと赤ちゃんは一緒に成長していきます。ネコはあっという間に大きくなり、おすわりの頃には既にオトナのネコの大きさになっています。大きくなったネコは少年に対し、
おれのほうが、あにきだぜ
と粋がっています。ねんね、おすわり、ハイハイ、つかまり立ち、あんよ…と成長していく少年と共に過ごすネコの姿が描かれたページの部屋の壁には、おそらく少年の描いた落書きのようなネコと少年の絵が飾られていて、ネコと少年の親密な時間が読み取れ、兄弟のように一緒に育つ姿が微笑ましいです。
ここは おれたちの なわばり
まだ幼いころ、出窓に並んで座る2人(1人と1匹)の後ろ姿は、少しだけ少年が大きいくらいなのですが、大きくなるにつれ、少年は出窓には座れなくなり、2人は寝転がっています。寝転がって本を読む少年の横で、少年には興味なさそうに寝転がるネコ。さらに時が経ち、少年は背の高い青年となり、ネコにそっと寄り添うように床に立ってます。そして、少年は巣立っていき、最後にはネコだけが出窓に座っています。
さいきん おまえ いないな。
その背中は寂しげですが、それはそれで受け入れて一人でも生きていくという気概や、まあそれもまた一興というような気まぐれさも漂っています。
わすれていいから
と言い放つネコは、飼い主を待つハチ公の持つ忠実さと相反する、自立心のある1人の生き物としての気高さがあるのです。
これがネコの魅力なのかもしれません。
この絵本、ネコの魅力も伝わってくるのですが、子育てしている身としては、少年が成長して巣立っていく過程にも感慨深いものがあります。
私は、親子関係において、「一人で大きくなったような顔をして」「あなたを育てるのがどれだけ大変だったか…」「今のあなたがあるのは育ててくれた親がいるから」というようなセリフを聞いてきた世代なのですが(世代とは関係ないのかな?)、自分が親になってみると、そのどれもが、どうもピンとこないのです。
育ててあげたという気持ちどころか、むしろ、子どもに対して「もっとできることがあったかも」「こんなんで良かったのか?」「元気で大きくなってくれてありがとう」というような、申し訳なさや有難さの気持ちしか湧いてきません。それは、子どもが健康に育つ割合が多くなった、平和さと豊かさが背景にあるのかもしれません。
そして、これから巣立っていく子どもに対して、「あなたはあなたの居場所を見つけ、元気でやっていって。私のことは忘れていいから。」という、このネコに近い感覚があるのです。
もしかしたら、親子関係が、主従関係からそれぞれが個として生きる独立した関係に変わってきているのかもしれません。
そんなこともネコが好まれる風潮に影響しているのかも?
そんなことを考えた絵本です。
「わすれていいから。」と言えるくらい、子どもに依存せず、信頼して送り出せる日を夢見て。
ソーセージを咥えたネコの迫力あるアップの顔など躍動感があり、ネコの魅力が描いたすてきな絵です。ネコの身体の線のかっこよさ、たまに甘える可愛さが伝わってきます。

