自己肯定感なんてなくたっていい「たいせつなこと」
1日1回はスイカゲームをしてしまうくるみです。こんにちは。
スイカゲームというのは、こむぎのニンテンドースイッチにダウンロードした今流行りのミニゲームなのですが、中毒性があります。やるべきことは山ほどあるというのに、困ったものです。
ゲームなんてやってる時間があるなら、リビングを少しでも掃除した方がいいのに。
私ってなんてダメなんだろう。
…なんてことを昔の私は思っていたような気がします。
今の私はというと、あーあ、無駄な時間を過ごしちゃったけど、ま、仕方ないか、と開き直っています。
そういえば、最近はあまり自分を責めたり、自分のダメな部分について考える時間が減っています。
私の中に自己肯定感が生まれてきているのかもしれません!
(年による体力の低下とともに、いい意味でも悪い意味でも簡単に諦めることを覚えたのかもしれないけれど。苦笑)
自己肯定感って言葉が流行り始めてどのくらい経つのでしょう。
子育てのセオリーでもよく聞きます。
自己肯定感を育てましょう、と。
自己肯定感がある子はどんなときも自暴自棄にならず、前向きに物事に取り組める。
グズグズ悩んだりする時間も労力もかける必要がないので、心がクリアになり効率が上がる。
自分を愛せて初めて、他人を心から愛せる。
わかる。子育てで大事なのも痛いほどわかる。
だけど、そうはいっても。生まれてからずっと自己肯定感が低かった私。
何かネガティブなことが起きたら…
私ってなんてダメなんだろう…ウジウジ
あ、またウジウジ悩んでる。
そもそも私が自己肯定感ないからいけないんだ。
あ、それもまた自己肯定してない。
と、負のループにはまっていたわけで。
子育てしてると、子どもが自分の嫌な部分を引き継いでることは多々あって、それに気付くたびに落ち込むのだけど、自己肯定感もその1つでした。
しろめしの自己肯定感の低さが痛いくらいだったので。
叱りすぎてるからかも。
愛情が足りないんだ。
比べないようにしてるつもりだけど比べてるのかも。
育て方が悪いんだ。というかもう遺伝なのかな…
と、更に私の自己肯定感を下げていく。
親子でどんどん深みにはまっていきました…
今日の絵本、そんな日常に疲れた時、心に沁みた1冊です。この本に出会えたことがもしかしたら、今の私を生きやすくしたのかも!?
自己肯定感がなくてもいいのでは
グラス、りんご、風…
それぞれの特徴をしっとりと読み上げ、最後に「○○にとってたいせつなのは○○ということ」でしめる。その繰り返し。丁寧で穏やかな言葉遣いを通して本当に大切なことが何なのかを考える機会に出会えます。
何でもかんでもクイズにしてしまうクイズ大好きな当時小学生のしろめし。
途中で法則を見つけたらしく、「最初に言ったのが大切なんでしょ!」と、読んでる間に勝手に当ててきました。
わりと、文字の多い本ですが、言葉遣いが丁寧で詩的。
最後の「たいせつなのは…」という締めの言葉を気持ちよく読める。
りんごにとってたいせつなのはおいしいじゃなくて、たっぷりまるいこと。
雪にとってたいせつなのは白いことだけど、空にとってのそれは青いことではない。
なんとも深い。
大人も楽しめる内容です。
そして、最後のページ。
大体予想できます。
そう来るんだろうなって。
でも、心にグッときてしまう。
毎ページ勝手に答えを叫んでいたしろめしも、なぜかしんとしました。
何か受け取ったものがあったのでしょうか。
この本を読んだ後、自然と湧いてきたのは、自己肯定感なんてなくてもいいのではないか、ということ。
自己肯定感のない自分も、無理に直す必要なんてない。
一見矛盾している禅問答のようだけど、自分を認めるっていうのはそういうことなんじゃないかと。
足が速い子と遅い子がいるように、自己肯定感だって高い子と低い子がいる。
しろめしが自暴自棄な発言をしたら「お母さんもそう思うことあるよ」って言ってあげればいいんだ。
今までもやもやしてたまっていたことがすとんと降りていきました。
5歳のこむぎには少し難しかったけれど、誰もがきっと何かを感じとれる絵本です。
つまりは自分の自己肯定感を評価すること自体が自己肯定してないってことなんだよね…
ややこしい!