ずるいと感じるのはなぜ?「さかなくん」
毎年、夏の終わりには何かをやり残した感に襲われるくるみです。こんにちは。
以前、Eテレの「u&i」という番組の中で、「文字が歪んで見えてしまう識字障害の子が、特別にタブレットを使用して音声で読み上げる形式でテストを受ける」という場面がありました。
タブレットを使用しているその子を見て、周りの子は「なんであの子だけタブレットを使えるんだ!ずるい!」と不満を言います。
そこで、どうしてタブレットを使う必要があるのかを説明する、という番組でした。
例えば算数で、円の面積の求め方を学ぶとします。
ここでは、円の面積をどうやって求めるかを理解することが本質です。
テストも、円の面積の求め方を理解できているかどうかを見極めるために行われるわけです。
もし、文が読めないことが原因でテストに取り組めないならば、本質からずれています。
問題文をタブレットを読み上げようが、自分の目で読もうが、面積を自分の力で求めるならば、本質には問題ないというわけです。
さて、それを見てからというもの、私は考えてしまいます。
落ち着きがなくて座っていられない子。
数字がイヤでイヤで仕方のない子。
何をするのものんびりしていて、時間に追われることで心理的負担を感じてしまう子。
障害と呼ばれるものだけでなく、障害とまでは言われていないけど苦手なことを持っている子はたくさんいます。
みんな、授業中、本質ではない部分でつまづいてしまいます。
テストの時、こんな風にしたらどうでしょう?(現実的に可能かはひとまず置いておくとして。)
落ち着きがなくて座っていられない子は、別室で歩き回ってテストを受けてもいい。
もし計算練習してもなかなか速くならず、数字に嫌悪感を抱いてしまう子は、電卓を使用してもいい。
時間に追われることで心理的負担を感じてしまう子は、時間を延長して受けてもいい。
面積を求めることを理解しているかを確かめることが目的なら、それでもいいのではないでしょうか。
けれど、もし、このような措置をした全員が100点をとった場合、今まで通りテストを受けた結果、問題を読み間違えて80点だった子からはきっと「ずるい!」の声が上がります。
隣の子の立てる音が気になって集中できなかった子からも、計算ミスしてしまった子からも、時間が足りなくて見直しできなかった子からも。
「私だって、電卓使えば間違えなかったもん。」「僕だって、あと5分あれば、間違えに気付けたよ。」
それはもっともな言い分だと思います。
じゃあ、やっぱりみんな同じ条件でテストを受けた方がいいのかな…?
いや、まてまて。
そもそも、「ずるい」という感情はなぜ生まれるのでしょう?
みんな100点をとりたいから?
80点より100点の方が褒められるから?
80点をとった自分より、100点をとったあの子の方が素晴らしいと評価されてると感じるから?
だとしたら、人と点数を比べる、ということをどうにかできないかなぁと私は思います。
点数は能力の評価ではなく、理解度を測る指標であること。
人と比べるのではなく、過去の自分と比べて、成長できているかが重要なこと。
50点ほどの理解しかしていなかった子が勉強してとった80点は、とても理解度が上がったということなので、周りが100点だろうが、自分の成長に満足すればいいのです。
計算ミスして80点をとった子は、次のテストでは計算を間違えないように、計算の工夫を考えるきっかけを得られたのだと思えばいいのです。
誰もが、そんな風に自然と考えられる社会になればいいなぁと思うのです。
まずは大人が、点数だけをを聞くことをやめたり、点数だけでコメントするのをやめたらいいかと思うのだけれど…
大人同士でも評価し合っているくらいだから難しいのかな。
以前よりはそんな世の中になってきたような、そうでもないような?
そんなことを考えるきっかけになった、今日の絵本はこちら。
小学校に通うさかなくんの日常が描かれた絵本です。
さかなくんは走るのが大嫌い
さかなくんは、ゴムのズボンをはいて、ガラスのヘルメットをかぶり、小学校に通います。さかなくんはだいたい学校が好きです。ただひとつ大嫌いなのは体育の授業。ヒレしかないさかなくんは走るのが苦手なのです。ある日、さかなくんは体育で転んでケガをしてしまい・・・。
魚が陸上で暮らすならこんな感じかな、と想像も広がり、個性的な絵も光るたのしい絵本です。
まずは、絵が素敵です。
鉛筆で描いたような優しい線や丸みを感じるタッチ。少し不気味にも見えるシュールな表情。
さかなくん以外の、小学校に通う子達もさまざまで面白いです。2足歩行で学校に向かう人間や猫や犬、とかげ。
ファンタジーの世界ですが、水なしでは生きられない魚の現実は取り入れられていて、陸上で暮らすために、宇宙飛行士のような特別装備が必要なさかなくん。足の代わりのヒレに靴を履いて走ります。
そしてこの絵本は、言葉も素敵です。
全て仮名で書かれているせいか、優しい柔らかい印象の言葉たち。
「むっすり」「たったったったっ」「すいー」などの言葉がやけに新鮮に響きます。
(この後、すこしネタバレがあります。)
転んでヒレにけがを負ってしまったさかなくんは、友達にもらったローラースケートを履いて走れるようになるのですが、それを見た我が家の子どもたちは、「ローラースケートはずるくない?」と言いました。
そこで、初めの話につながるのですが…
確かにローラースケートは使いこなすことができれば、かなりのスピードが出そうです。
そんな道具を使うのは、ずるいってことですね。
ここでもやはり、人より速いのが最も良いという価値観が、ずるいという感情を生むのだと思うのです。
ヒレしかないことで走るのが大嫌いだったさかなくんが、楽しく走れるなら、それは十分価値があることだと思うのだけれど。「ずるい」になっちゃうかぁ…
と、私は子供たちの感想を聞いて、少し寂しい気持ちになりました。
競争には競争の楽しさもあるし、競争することでしか得られない大切なことも確かにあるとは思うけれど、それはそれ、これはこれ、別の観点で考えられないものかなぁ。
スノードームの中に部屋があるような、さかなくんの部屋の中が描かれたページが好きでした。学習机や本棚のある、よくある子ども部屋の景色が、ゆらゆらと泡漂う水中にあるなんて、とっても幻想的。眺めるだけでも楽しい絵本でした。