失ってしまうものとどう向き合うか「メメンとモリ」
クラフトビールが大好きなくるみです。こんにちは。
最近スーパーでもたくさんの種類が買えて嬉しいです。

もずくは物を捨てたがりません。
もう古びたバスマットでさえ、「新しいの買おうかな」と言うと、「捨てないで」と言います。
「捨てたらかわいそう」と言うので、「もうたくさん使ったからね」「仕方ないよ。だんだん使い辛くなってきたから」「ありがとうってバイバイしよう」などとなだめなければなりません。
そんなもずくが、健気でもあり、面倒でもあり…
どうして物を手放すことがもずくの心をこんなにも動かしてしまうのでしょう。
そもそも、私たちが別れを悲しいものとして認識しているのはなぜなんでしょう。
今この瞬間にも、未来が今となり、今は過去として去っていくのに。
形あるものはいつか壊れるのに。
こんなにもたくさんの物や人と日に日に別れていくのに。
どうしてサラッと流せる心を持って生まれて来なかったのでしょう。
結局のところ、どんな言葉をかけてももずくが悲しい気持ちになるのは止められないような気がします。
悲しいね、と一緒に悲しんであげたらいいのかな。
そんなことを思った今日は、失ってしまうものについて考えるヨシタケシンスケさんの絵本です。
よごして あらって ちらかして かたづけて
「メメンとモリとちいさなおさら」「メメンとモリときたないゆきだるま」「メメンとモリとつまんないえいが」の3章仕立て。もうこれは哲学書といってもいいのではないか。深く、真剣に、けれど、どこか軽快で、前向きに。失ってしまうものに向き合うメメンとモリの物語です。
もこっとした髪型が可愛いメメンお姉ちゃんと赤いどんぐりハットが似合うモリくん。
絵本は基本的には2人の会話で構成されています。
割れてしまった小さなお皿。融けていくだけで誰の気にも止まらない汚い雪だるま。時間を無駄にしただけのつまらない映画。
失ったものを前に嘆き、落ち込みそうになるモリくんにメメンお姉ちゃんは語り始めます。
慰めではなく、淡々と思いの丈を語っているような感じで。
その語りはだんだんと、人の生きる意味などと深い深い場所までそっと入っていきます。
「ずっとそこにある」ってことよりも「いっしょに何かをした」ってことのほうが大事じゃない?
とか。
得だとか損だとか、生きているっことにはほんとはかんけいないんだよ。
とか。
「メメントモリ」とはラテン語で「いつか必ず死ぬということを心に留めておけ」という意味らしく、それは同時に、では生きている今をどのように捉えようか、という疑問を私たちに投げかけてくる言葉です。
失ったものを嘆き悲しむほど、私たちの人生は失わないものばかりではない。
かといって失ってばかりでもない。
そもそも失わないために私たちは生きているのではない。
そんな感じことが、書かれています。
正直、私は早くも1章で泣いてしまいそうになったのです。
よごして あらって
ちらかして かたづけて
毎日同じ家事を続ける中で、ああこれ一生やり続けるんだろうか、と空しくなる瞬間が定期的にあって、そんな人生と重なって無性に涙が出てきそうになりました。
そんな、とてもシリアスな内容なのだけれど、食べカスを口の周りにたくさん付けてむしゃむしゃと食べている様子だったり、変な作品を作って楽しんでいるおじさんだったり、ヨシタケさんのユーモラスなほのぼのとした絵のおかげで不思議と教科書的にはならずに、途中でクスリと笑えたりもするのです。
思っていたのと違う現実に、打ちのめされそうになったときに、ぜひ。
(自分で読もうとして)漢字があるね… (大人向けなのかも?)
