今はなき職業に敬意を表して「おーい、こちら灯台」
「このジャム、ドブドブしてておいしいね!」いつも独特な擬態語を使うこむぎの頭の中を覗いてみたいくるみです。こんにちは。

もずくは車の運転に興味があるようで、「何歳になったら運転できるの?」と聞いてきます。
私は、「18歳からだけど、なったら誰でも運転できるわけじゃないよ。運転を教えてくれる学校に行って…」などと説明しながら、ふと、もずくが大きくなるころにはもしかすると自動運転が当たり前になっているかもしれない、と思いました。
運転がそれほど得意ではない私にとって、自動運転はウェルカムなのですが、車の運転を仕事にしている方にとっては、職を失う一大事ですね。
人の手で行っていたことを機械に任せること。
これまでも、人はそうやって労働を手放してきました。
家事ひとつをとっても、洗濯機、ガスコンロ、電子レンジ、給湯器、たくさんの便利な機器によって、辛い肉体労働から解放され、時間を手に入れることができています。
桃太郎のおばあさんは、衣類を担いで川へ洗濯に行き、1つ1つ手洗いして、絞って、濡れて重くなった衣類を持って帰り、干していたわけです。
もうそれだけで、間違いなく1時間は潰れそうです。そして、本当に重労働…
濡れた洗濯物を2階に持っていくだけでハアハア言ってるのに。
ああ、洗濯機ありがとう。水道もありがとう。
けれど。
時々、ふと思います。
単調な作業を手放すことは楽だし、とても嬉しいけれど…
それと引き換えに手に入れたものは、本当に私が欲しかったものなのかな?…と。
この恩恵を有効に活用できているのかな?…と。
肉体労働を免れたのに、運動不足のためにウォーキングや筋トレなどをしている不思議。
人の脳で処理しきれないほどの情報量の中から必要な情報の選択を迫られ、頭ばかりを働かせて、手に入れた時間を有意義に使うことに必死になっている。
その結果、余ったはずの時間には、あっという間にぎゅうぎゅうにやることが詰め込まれて、感覚的には時間は全然余ってなどいない。もっともっと!と時間は欲しくなるばかり…
機械に仕事を委ねて、このような生活を望んでいたんだろうか…
仕事を手放した分、もっとスローダウンして丁寧に軽やかに生きられたらいいのに。
今日は、そんなことをしみじみ考えてしまった絵本を紹介します。
今はもうない灯台守という職業についての絵本です。
明かりを守り届ける仕事
世界のさいはて、ちっちゃな島のてっぺんに、灯台が立っている。灯台の明かりを灯し続けるために、灯台守は灯台に住み、来る日も来る日もレンズを磨き、油を継ぎ足し、ランプの芯を切りそろえ、ゼンマイを巻く。そんな灯台守の生活が描かれたお話です。
世界のさいはて、ちっちゃな島のてっぺんに、灯台がたっている。
永遠に続くようにとたてられた。
遠くの海まで、光をおくり、船をあんぜんに、みちびく。
広い海の上を行く船乗りにとって、大事な目印となる灯台。
この絵本は、そんな灯台の明かりが、自動ではなく手動で管理されていた時代のお話です。
灯台守の仕事とは、日没から夜明けまで明かりの世話をして決して消さないこと。
ただ、それだけです。
けれど、そのためには、夜中、レンズを回転させるためにゼンマイを巻き、灯心の燃えカスを掃除し、ランプをに油を継ぎ足さなくてはなりません。
メンテナンスも大事です。明かりを遠くまで届けるためには、レンズを磨くことや寒い冬には窓に張った氷を除くこと。
さらには、霧を知らせる警報を発したり、海難事故があれば救助に力を貸すこともあります。
そして、何よりも灯台守の仕事を個性的にしているのは、灯台を家として住んでいるというその暮らしぶりにあります。
場所によっては船さえも近づけず、小さなボートで物資をやり取りするような海に囲まれた立地に、塔のような背の高い造りの、長い螺旋階段のある縦長の家。
気軽に外出できない隔離された家。
回廊(バルコニーのようなところ)に出て、見渡せば、そこには遠くまで広がる海。彼方に見える水平線。
そして、おそらく、強い風の音と24時間止まることのない波の音。潮の匂い。
けれど、そこには人間としての普通の生活もあります。
仕事以外の退屈な時間には、釣りをして魚を焼いたり、凧あげをしたり。
本を読み、日誌を書き、単調に繰り返される日々があります。
そこへ突然の高波や海難事故、深い霧。
あとがきにもあるように、その生活は、冒険と日常の両方で成り立っているのです。
なんだか、ロマンを感じます。
当時4歳のもずくにはちょっと難しいかなぁと思っていたら、もずくはなぜだか気に入ったようで、「おじさん凧あげてる」「これは何?」「助けてあげたね」「この子何歳?」などと興味津々で聞いていました。
こんな孤独で危険で地味な仕事は、今はなくなり、灯台の明かりは機械が管理してくれています。
けれど。
昔の船乗りにとって、遠くに見える灯台の明かりが人の手によって灯されていて、明かりの元にはいつも人がいてくれている、ということは、心の支えになったのではないか、と私は想像します。
機械化はありがたいし、全然反対ではないけれど。
手仕事の温もりや無駄と思える余白によってだけ、満たされる部分が人の心にはあるような気がするのです。感傷的かなぁ。
灯台に興味が湧いてググって見たら、GPSの出現により、灯台自体の存在価値が危ぶまれているらしいです。
ああ、ゆく河の流れは絶えずして…ですね。
たくさんの、今はもうなくなってしまった職業に敬意を表しつつ、新しい未来の職業に夢を抱いて。
大人にもおすすめです。
どういう仕事を人間の手に残せば、人は幸せでいられるのか…
