季節の移ろいを感じながら「はるとあき」
ここ数か月歯医者に通っているのですが、顔にタオルをかけられていると、脳の指令と口の筋肉との連携が心もとなくなり、「開いて」「閉じて」「噛んで」などの指示に軽くパニック状態になるくるみです。こんにちは。

(リライト記事・前ブログ2020年記事より)
まだまだ暑い日中に比べ、早朝は少しひんやりとした空気を感じる日もちらほら出てきました。
天候が変わってきたせいもあるのでしょうが、年を追うごとに、自分にとっての適温の範囲も狭くなっているような気がします。
暑さでヒーヒー言っていたのに、すぐに寒さに震える。そんな感じで1年が過ぎていきます。
寒くなると暑い夏が、暑くなると寒い冬が、まるで嘘のように感じられ、本当にそんな日があったのだろうかと不思議な気持ちになります。
足して2で割って、ずっと過ごしやすい季節ならいいのになぁ。
けれど、この変化、四季こそが日本の自然や文化や食事を豊かにしてくれているのですよね。
桜の花が満開になって散り、雨に咲く紫陽花、向日葵の花が高く高く伸び、木々の葉が赤くなり、道を落ち葉が染め、椿の花が咲き、霜柱をザクザクと踏む音を聴く。
秋には桜の花を見れないし、春には赤い葉は見られない。
そんな日本では当たり前の四季の移ろいを題材にした、幻想的で可愛い絵本がありました。
会ったことのない友だち
春夏秋冬が人として描かれています。主人公のはる。ふゆに起こされ、なつと交代して、次の春まで眠ります。ある年、はるは会ったことのないあきに手紙を書くことにしました。春の様子、秋の様子。日本の四季の美しさを感じつつ、違うものそれぞれの良さについて考えられる絵本です。
4つの季節が擬人化して女の子として描かれているのが面白いです。
4者4様、性格も異なっていて、なつは「すかっとした魅力がある」、ふゆは「きりっとしている」と自分のことを表現しています。
はるとあきは、なつとふゆを配達人として、1年に1往復の文通を始めます。
相手の手紙の文面から、それぞれがお互いの季節を知ります。
満開の桜の花や、いちご…あきは春の風景を想像します。
紅葉や虫の声…はるは秋の風景を想像して、楽しんでいます。
ところが、ある年、はるは自分との文通はあきにとっては退屈なのではないか、と不安になります。
はるとあきは、違う景色に囲まれていて、ずっと会ったこともなく、これからも会うことができません。
そんな2人を友だちと呼べるのでしょうか。
そもそも、わたしたち人間は、どういう人を友だちというのでしょう。
環境や趣味や性格が似ている者どうしが友だちになることもあるし、全然違う者どうしが友だちになることもある。
一見はまるで違っていても、実は似ているところがあったり。
じぶんにも いいところが あるって きづけたよ
というあきの言葉が印象的でした。
自分にとって当たり前だと思っていたことが人にとっては特別なことという場合もあります。
それを知ることで自分の価値や個性を認識することできます。
ふゆのセリフにもほっこりします。
外から客観的に見ると気付くことも、たくさんありますね。
違っても同じでも、会えても会えなくても、友達でいることはできる。
そう思わせてくれる絵本でした。
こむぎは春夏秋冬それぞれの女の子の特徴が気になったようでした。
こむぎのイメージでは春と冬は女の子で、夏と秋は男の子、とのことです。
この絵本では全員女の子で夏と冬はショートカットです。
表紙と裏表紙の見開きで4人が描かれていて、それぞれ季節のものに囲まれています。
イチゴにつばめ、朝顔にひまわり、リスに落ち葉、雪と白い山。
同じ場所でも季節によってそのときしか見られないものがある、という自然の豊かさを感じます。
個人的にとても好きな絵本でした。
皆さまもぜひ。
秋はシャインマスカットに巨峰、さつまいも、栗ご飯、サンマの塩焼き…思い浮かぶのは食べ物ばっかり。
